寝台特急「なは」とは?

寝台特急「なは」とは?

寝台特急「なは」とは、新大阪(後期は京都)〜西鹿児島間の寝台列車名です。

EF65 1131号機牽引の寝台特急「なは」

特急「なは」は、「ヨン・サン・トウ」と呼ばれる昭和43(1968)年10月1日ダイヤ改正から運転をはじめています。


それまで特急「かもめ」として京都〜西鹿児島(現:鹿児島中央)・長崎間で運転されていましたが、昭和43(1968)年10月1日ダイヤ改正を機に新大阪〜西鹿児島間の編成を「なは」と名付けて分離したものです。


この時の「なは」は、昼行特急列車として大阪〜西鹿児島間の1往復運転でした。


車両はキハ80系気動車で、大阪〜小倉間では特急「日向」(大阪〜宮崎)と併結運転となっていました。


気動車特急「なは」は昭和48(1973)年10月1日に485系電車によって電車化されました。


485系となった「なは」は単独の昼行特急列車となりました。


なお、併結相手だった「日向」は気動車特急のまま残り、昭和49年(1974)4月の日豊本線南宮崎電化完成で電車化されています。


昭和50(1975)年3月10日の山陽新幹線博多開業にともなうダイヤ改正が行われました。


485系によって運転されていた特急「なは」はこの改正を機に昼行から夜行となりました。


運転区間は、新大阪〜西鹿児島間で車両は583系12両編成で運転本数は1往復とされました。


583系による寝台特急「なは」は、昭和59(1984)年2月1日から24系25形客車に置き換えられました。


京阪神〜鹿児島本線沿線を結ぶ「関西ブルートレイン」の一員となったのです。


24系25形客車となったことで「なは」は、気動車、電車、客車すべてに用いられる名前となりました。


「なは」と同じく、気動車、電車、客車すべてに用いられた名前には「はつかり」があります。

「なは」と「はつかり」の違う点は、電車化の際に運転経路が常磐線から東北本線に変更されており、同一経路のままではありません。


「なは」のように同じ経路を維持したまま、当初は、昼行の気動車特急であった列車名が、そのまま電車特急に用いられ、時を置かず寝台特急名となったのは希有でしょう。


24系25形客車となった寝台特急「なは」の運転区間は新大阪〜西鹿児島間。


編成はすべてB寝台で、基本編成6両と付属編成7両の13両編成でした。


付属編成は7両は熊本止まりとされました。


昭和61(1986)年11月1日ダイヤ改正が行われました。


この改正は、国鉄最後の大規模なダイヤ改正であり分割民営化を前提としたものとなりました。


寝台特急「なは」は、客車の担当が向日町運転所(現在の京都総合運転所)から基本編成が鹿児島運転所・付属編成が熊本運転所と変更されました。


そして、「なは」と同じ新大阪〜西鹿児島間を走る寝台特急「明星」が廃止され、20系客車による臨時列車格下げされたため、新大阪〜西鹿児島間を走る定期列車は「なは」だけとなりました。


平成に入ると「なは」も、他の寝台特急と同じく高速バスなど他の交通機関の台頭によって需要が頭打ちとなりました。


対策として座席車や個室寝台車が設けられました。


まず、平成2(1990)年3月10日に、普通車座席指定車として横3列シートの「レガートシート」が登場。


「レガートシート」登場当初は、熊本駅発着の付属編成に連結していました。


平成3(1991)年3月29日から上り始発から「デュエット」が、平成4(1992)年7月14日の上り始発から「ソロ」が相次いで登場しました。


「ソロ」が登場した時に、熊本止まりであった「レガートシート」が基本編成に連結され終着の西鹿児島(現:鹿児島中央)まで延長されました。


各車とも普通車・B寝台車でありA寝台ではないですが、さまざまな需要に対応しようとする姿が見て取れます。

平成7(1995)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により東海道・山陽本線が不通となったため、「なは」は当分の間運休しました。


そして、同年1月30日〜3月31日まで臨時寝台特急「なは」81・82号が熊本駅発着で運転されました。


「なは」81・82号は、福知山線〜山陰本線〜播但線経由で不通区間を迂回して運転されました。


車両は14系寝台車7両編成でした。


理由は、播但線の有効長が8両であったため、輸送力を出来るだけ落とさないよう電源車不要の14系寝台車とされたのです。


同年4月1日に東海道・山陽本線が開通したことで、「なは」も運転が再開されました。


平成16(2004)年3月13日の九州新幹線新八代〜鹿児島中央間開業のダイヤ改正が行われました。


寝台特急「なは」の走行区間のうち、新幹線の並行区間となる八代〜川内間が第三セクター「肥薩おれんじ鉄道」へ移管されました。


移管によって、「なは」の熊本〜西鹿児島間が廃止され新大阪〜熊本間運転となりました。


新幹線の開業によって廃止される寝台特急も多い中、「なは」は熊本止まりとなったものの引き続き運転されました。


「なは」は寝台列車となってから単独運転をとおしてきましたが、平成17(2005)年10月から寝台特急「あかつき」と京都〜鳥栖間で併結運転がはじまりました。


「あかつき」とあわせるため京都発着となって、京都〜熊本間に運転区間が変更されダイヤについても「あかつき」のダイヤに移行しました。


このときに「レガートシート」は編成から外されました。


後年は新幹線開業の影響などを受けながらも運転が続けられた寝台特急「なは」でしたが、平成20(2008)年3月14日発の運転をもって併結相手の「あかつき」とともに廃止され39年半の歴史に幕を閉じました。


「なは」という名前が、沖縄の早期本土復帰の切望したことは有名な話です。


特筆すべきは「なは」が電車特急となって、同じ経路には寝台特急「明星」が多い時で季節列車も含めて4往復も運転されていたにも関わらず、「なは」は他と列車名が統合されることなく生き残っていたことです。

それだけ格別の感情をともなった名前だったのでしょう。



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