寝台特急「日本海」とは?

寝台特急「日本海」とは?

寝台特急「日本海とは、大阪〜青森間の寝台特急列車の愛称です。


日本海縦貫線ともよばれる東海道本線(大阪〜山科)・湖西線(山科〜近江塩津)・北陸本線(近江塩津〜直江津)・信越本線(直江津〜新津)・羽越本線(新津〜秋田)・奥羽本線(秋田〜青森)を経由しています。


平成24(2012)3月17日ダイヤ改正で定期列車から臨時列車格下げされました。


上記ダイヤ改正以降の編成は、電源・荷物車1両にB寝台車6両の24系客車7両編成となっています。


B寝台車は全車開放2段式です。


臨時列車となった「日本海」は、列車番号は下り列車が大阪〜糸魚川間が8003、糸魚川〜青森間が9003、上り列車が青森〜糸魚川間が9004、糸魚川〜大阪間が8004となっています。


臨時列車となった後のダイヤは下り列車が、大阪20時38分発→青森12時42分着。


上り列車が青森16時21分発→大阪10時27分着です。


所要時間が下り列車で16時間4分、上り列車で18時間6分となっています。


定期列車時代の所要時間は、下り列車で14時間47分、上り列車で14時間54分でしたから臨時列車となってから下り列車で1時間7分、上り列車では3時間12分も所要時間が長くなっています。


走行距離は大阪〜青森間1023.4kmで、定期列車・臨時列車を含めれば、「トワイライトエクスプレス」、「北斗星」についで日本で3番目に長い距離を走る旅客列車です。


「日本海」の列車名がはじめて登場したのは、昭和25(1950)年11月8日です。


昭和22(1947)年7月5日より大阪〜青森間に運転されていた急行列車に命名されました。


そこから20年以上の間を急行「日本海」としてすごした後、昭和43(1968)年10月1日の「ヨンサントオ」と呼ばれる東北本線全線電化・複線化にともなうダイヤ改正で「日本海」は特急列車に格上げされました。


寝台特急となった時の使用車両は青森運転所(現在のJR東日本青森車両センター)に所属する20系客車9連でした。


当時としては短い編成でしたが、A寝台、食堂車も各1両が連結されていました。

急行「日本海」時代の編成は新製されたばかりの10系客車とオハ35系やオハ42系客車からなるものでした。


20系客車となって面目を一新した「日本海」は同じ区間を走る特急「白鳥」とともに日本海縦貫線を代表する列車となります。


寝台特急「日本海」が運転開始された当初は、奥羽本線 秋田〜青森や羽越本線(新津〜秋田)が電化前であったため、この区間の牽引機はDD51形ディーゼル機関車でした。


昭和46(1971)年8月25日に奥羽本線秋田〜青森間が交流電化され、同区間での牽引機はED75 700番台となりました。


電化が遅れていた羽越本線も翌昭和47(1972)年8月5日に全線電化が完成したことからEF81形交直流電気機関車が秋田まで牽引し、秋田〜青森間はED75 700番台交流電気機関車が牽引しました。


1往復時代の「日本海」は「雷鳥」など他の特急・急行とともに東海道本線米原を経由していましたが昭和50(1975)年3月10日ダイヤ改正から湖西線(山科〜近江塩津)経由に変更されました。


ちなみに、湖西線自体は昭和49(1974)年7月20日に開業し昭和50(1975)年3月10日ダイヤ改正までは普通列車だけが運行されていました。


昭和50(1975)年3月10日ダイヤ改正以降は、大阪〜北陸方面の特急・急行列車は「きたぐに」など一部をのぞき湖西線経由で運転され現在も継続されています。


東海道本線米原経由時代の「日本海」は、直流電気機関車のEF58形やEF65形もけん引していましたが、湖西線経由となったことでEF81に交代、EF81が大阪〜秋田間を牽引するようになりました。


さらに、この改正から「日本海」は定期・不定期各1往復ずつの2往復体制となっています。


昭和50(1975)年3月10日ダイヤ改正では残念ながら「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出が取りやめとなりました。


定期列車となった「日本海2・1号」(4001・4002列車)は使用客車が20系客車から14系寝台客車となり、食堂車が連結されなくなりました。


「日本海2・1号」に使用された14系寝台車は、九州にある早岐(はいき)客貨車区に所属するものでした。


「あかつき」として大阪に発着する編成の間合いに「日本海2・1号」にしていたのです。


九州に配置された車両が青森まで運用されるという大変めずらしい運用でした。


いっぽうで「あかつき」の遅れや運休が「日本海」に影響したり、「日本海」の遅れや運休が「あかつき」に影響することもありました。

季節列車は臨時列車からの格上げで「日本海1・2号」(6003・6004列車)とされ、14系座席車12連の普通車編成が使用されましたが、昭和51(1976)年2月からはB寝台だけながら24系25形となっています。


昭和53(1978)年10月2日には季節列車「日本海1・2号」も定期列車へ格上げあれ、寝台特急「日本海」は24系客車、24系25形(B寝台車のみ)客車各1往復ずつの定期2往復となりました。


2往復体制は平成20(2008)年3月15日ダイヤ改正で1往復となるまで約30年間続きます。


また、早岐客貨車区所属の14系寝台客車による広域運用もここで解消されるとともに下り2号を3号、上り1号を2号、上り2号を4号としました。


上越新幹線が開業した昭和57(1982)年11月15日ダイヤ改正で「日本海」のA寝台車の連結がなくなりました。


あわせて使用車両が24系客車・24系25形客車各1往復から宮原客車区所属の24系25形客車2往復とされました。


昭和59(1984)年2月1日、「日本海」2・3号の受持ちが宮原客車区から青森運転所に変更。


昭和60(1985)年3月14日には昭和50(1975)年3月10日ダイヤ改正以降取りやめていた「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出が再開されました。


昭和62(1987)年4月1日、国鉄が分割民営化されました。


寝台特急「日本海」の受け持ちも改まり、1・4号をJR西日本宮原客車区(現在の網干総合運転所宮原支所)が、2・3号をJR東日本青森運転所(現在の青森車両センター)となりました。


大阪〜青森定期2往復という時代が10年続いていた「日本海」が注目されたのは、昭和63(1988)年3月13日の青函トンネル開業によるダイヤ改正でした。


昭和63(1988)年3月13日ダイヤ改正でJR西日本が担当する「1・4号」が函館まで運転区間が延長され、北海道への進出を果たしました。


青森〜函館間の牽引機はED79形交流電気機関車でした。


そして、「日本海」は青函トンネル開業に際し、下り大阪発は開業前日の昭和63(1988)年3月12日の列車より函館行きとなり、寝台特急列車として青函トンネル通過した第1号となりました。


なお、「北斗星」の上下初列車が青函トンネルを通過したのは、上りが3月13日の深夜、下りは翌14日の未明に通過したのが最初となりました。


平成元(1989)年7月に寝台特急「トワイライトエクスプレス」がデビューするまでは「日本海1・4号」が所要時間1位(17時間33分)でした。

「日本海1・4号」を函館まで延長した時にかつて連結されていた食堂車を復活させる構想がありました。


食堂車が入る予定の5号車が空き番号とされ、車両も宮原客車区に用意されました。


ですが用意された食堂車は「トワイライトエクスプレス」に用いられたため復活は幻となってしまいました。


昭和63(1988)年3月13日ダイヤ改正からは、JR東日本 青森車両センター受け持ちの「日本海3・2号」にも開放式A寝台車オロネ24の連結がはじまりました。


平成6(1994)年12月のダイヤ改正では、寝台電車583系で運転されていた「はくつる」が客車となりました。


このため、寝台特急「あさかぜ1・4号」廃止による余剰車が青森車両センターに転属・管理されるようになりました。


転属車には、グレードアップを施された証の金帯車もたくさん含まれていました。


この結果、青森車両センターが受持っていた「日本海」にも金帯車が組み込まれるようになりました。


函館まで延長された「日本海1・4号」はB寝台だけの編成でしたが、平成10(1998)年12月1日からA個室寝台「シングルデラックス」が連結されました。


寝台特急「瀬戸」が「サンライズ瀬戸」として電車化されたことで、「瀬戸」に連結されいたA個室寝台「シングルデラックス」(オロネ25 301と305)が「日本海1・4号」を受け持っていた網干総合運転所宮原支所に転属してきたためです。


これで「日本海」は2往復ともA寝台が組み込まれるようになりました。


平成18(2006)年3月18日ダイヤ改正では、「日本海1・4号」の函館乗り入れが廃止され、再び2往復とも大阪〜青森間の運転にもどりました。


寝台特急「トワイライトエクスプレス」が登場しても、修学旅行など団体利用もたくさんあったため2往復体制が長く維持されてきた「日本海」でしたが、平成20(2008)年3月15日では「日本海3・2号」が廃止、JR東日本 青森車両センター配置の24系または、24系25形客車による1往復体制となりました。


客車編成も通常は電源車1両、A寝台車1両、B寝台車7両の9両編成(繁忙期は13両編成)となり、昭和43(1968)年10月に特急化されたときと同じ両数となりました。


この改正では同時に、A個室寝台「シングルデラックス」を連結していたJR西日本 網干総合運転所宮原支所の24系25形は運用から撤退、JR西日本は機関車のみを受け持つようになりました。


「日本海」が唯一、個室車両がない寝台列車となりました。

プルマン式の寝台車を連結していた寝台急行「銀河」(東京〜大阪)もこの改正で廃止、以後、寝台特急「日本海」がプルマン式の寝台車を連結した唯一の列車となりました。


東北新幹線が全線開業を果たした平成22(2010)年12月4日ダイヤ改正から「日本海」は新青森にも停車するようになりました。


昭和43(1968)年10月1日ダイヤ改正以来、定期の寝台特急列車として運転されたきた「日本海」ですが、ついに平成24(2012)3月17日ダイヤ改正で定期列車としては廃止されてしまいました。


40年以上にわたる定期列車としての歴史を終え繁忙期だけ運転される臨時列車に格下げされてしまいました。


平成22(2010)年12月4日ダイヤ改正から停車していた新青森は臨時列車に格下げされたことで通過となりました。


ダイヤ改正以降の使用車両は、機関車がJR西日本敦賀地域鉄道部所属のEF81、客車編成はJR東日本青森車両センター所属の24系客車7両編成となっています。


24系客車の構成は電源・荷物車1両にB寝台車6両で全車開放2段式です。


EF81は寝台特急「日本海」が運転される前にあらかじめ2両が青森車両センターへ重連で回送されます。


そして、運転予定が全てが終了すると2両が重連で敦賀まで返却回送されます。



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